expedition11
大市塚
天照大神の墓
撮影許可をいただきました。


expedition12
岩窟(天岩戸)
実物は迫力あります。

追加です。
岩戸の写真は見たことがなく、
手持ち資料の記述で判断していました。
しかし、最近入手した岩間尹氏の冊子に写真が!

私の写真と違います。
手持ち資料の
「岩戸の間口は約20センチ、
高さ540センチ、奥行640センチ」と
地元の伝承を考えると、
私が行った場所も間違いとは言い切れない気がします。
とりあえず岩間氏の意見ではこちら。
「宮下文書としてはどちらか・・・?」の前に
ここはここで探します。
現在の最優先事項!
追加②
岩間氏の言う岩戸は捜索中です。
まだ見つかってません。
もう何回何時間杓子山に
入っていることやら・・・。w
山の中、それも林道やハイキングコースから
外れた場所にピンポイントでたどり着くのは
なかなかキビシイかと。
すでに崩れてしまっている可能性もあり、
難しいです。
さらに私の撮った写真
(小明見の伝承としての岩戸)も
地元の方によると「違う」そうです。
こちらも捜査中。
追加③
場所としてはここのようです。
実は1年以上前にも行った場所でした。
その時は単に写真のままの洞穴を
探していたので
「この辺りのはずだけど・・・ないな・・・」で
引き返しました。

左側の岩を残して崩れた?
残念です・・・。

この辺りが入口だったのかな?

追加④

岩間氏はこの穴宮を「=岩戸」と
しているようです。
しかし、この地図を見ると
別じゃないでしょうか?
その方が現地の伝承とも合うため、
個人的にはスッキリするのですが・・・。
expedition13
宮下邸
宮下文書が収められた蔵。
撮影許可をいただきました。

expedition14
郡内騒動①
1836年の天保騒動を郡内騒動とも言いますが、
こちらは1666年の郡内騒動。
記録があまり残っていないようです。
「重税に耐えかねて甲州都留郡一同の名で領主に嘆願」
「1~2名の総代を決めて
書面で願い出るよう申し渡される」
「明見村庄屋惣右衛門、朝日村庄屋惣兵衛の2名を
総代として嘆願書を提出」
「総代2名処刑」
「関戸左近、奥脇太郎左衛門ら7名を総代に
領主の江戸本邸に嘆願」
「改善されない」
「総代7名+56名で再び江戸本邸に嘆願」
「先に地元に戻った56名逮捕」
「総代7名で江戸町奉行所に訴える」
「総代7名処刑」
税率は80.5%だったそうです。
この明見村庄屋惣右衛門が
当時の宮下家当主で大明見小室浅間神社の宮司でしたが、
処刑されたことにより
宮司の家系が親戚の宮下家に移りました。
宮下惣右衛門の墓

expedition15
郡内騒動②
地蔵堂
郷土史によると
「1668年の郡内一揆の時、宮下惣左衛門が
名主として江戸に直訴に行き、
浅草で斬られたので地蔵を祀り供養した」そうです。
惣右衛門とは別の宮下家のようです。
右、左が誤植ってことはないよな・・・?

expedition16
郡内騒動③
関戸左近ら7名を供養する六地蔵と首洗いの桶
(用津院)


用津院(ゆうしんいん)前方の河原が
当時の刑場だったようです。
この辺りでしょうか?



expedition17
郡内騒動④
郡内義民之碑(大正寺)
奥脇太郎左衛門の石碑


expedition18
カガミ
社宮地神社
カガミ(加賀美、加々美、加賀見、加々見)家の神社。
宮下氏と加賀美氏については
宮下文書にも多様な記述があります。

遠○大明(神?)
加賀美遠光を祀っているので
「光」だと思うのですが・・・。

異体字の「㫕」?

expedition19
のうとり
農作業の始まりを告げる「農鳥」


expedition20
吉田のうどん
小明見「きよちゃん」
